今回は平田先生が出稼ぎや合宿、ご自身のレースなどで朝スイム不在時のお留守番担当、すぎりょー先生(以下、杉)です。
ミ:すぎりょー先生は水泳歴がとても長いですよね。水泳を始めたきっかけは?
杉:母がカナヅチで自分の子どもたちはカナヅチにならないようにと、2つ年上の姉が6歳の時に水泳を習うことになりました。
それに倣って僕と双子の妹も同じく6歳の時から水泳を始めました。
姉は国体選手までのぼり詰め、妹は小学生の時にすでに育成コース(4種目の泳法を取得し選手コースの1つ手前のカリキュラム)に。
練習キライな僕は、妹と同じタイミングでは進級が出来ませんでした。
妹と一緒の時間にスイミングに通える方が安心ということで、その当時の自分のレベルに見合っていないのに育成コースで泳ぐことになりました。
まだバタフライも習ってない頃でしたので、当然練習にはついていけなくて周回遅れなんてことも。
特に嫌だったのはスカーリングなどで頭を上げたままのドリルや板キックで抜かされる時です。
別に嫌味や意地悪ではないとわかっていますが、抜かされる時に「頑張って」とか言われるのがイヤで。
それでドリルとキックはすごく頑張りました。
その当時からスタミナがないというか、練習キライで練習しないからスタミナがつかないというか。
それでもドリルとキックは育成コースでもそこそこ速い方に上がっていきました。
今でもキックが得意なのは、この時頑張ったからだと思います。
ミ:中・高も水泳部だったのですか。
杉:中学校の時は水泳部がなかったのですが、スイミングクラブには通っていて、レースには出ていました。
中学校では必ず部活に入らないといけなかったので、卓球部、将棋部、模型部に在籍していました。
どれも出席しなくても問題ない部活だったので、スイムを続けられました。
高校では念願の水泳部に入部しました。
しかし屋上にあるプールだったためスイム活動期間はわずかで、冬場はランニングなどのトレーニング。僕はその時期は水泳部をサボってました。。
僕の専門種目はずっと自由形の100m、50m、25mです。
自由形の短距離は人気と言うかライバルが多すぎて、レースで勝ち抜くなんて自分には無理でした。
それでもクロールを専門にしているのは、フルパワーで泳げる種目だから、ですかね。
背泳ぎは体が浮かないですし、バタフライや平泳ぎはかなり高度なテクニックが要求される、それでクロール以外の種目をS1(専門種目・得意種目)にしようとか、挑戦しようとか思わなかったですね。
高校水泳部では、練習メニューを回す担当は別にいましたので、自分はうまく泳げない部員に泳ぎ方を教える役割を引き受けるようになっていきました。
これまで育成コースの隣、選手コース(オリンピアンも居ました)の泳ぎを間近で見てきていたため、自然と「早く泳ぐ人のフォーム」というのがイメージできていて、それと違うフォームを見ると違和感を感じるになりました。この違和感を減らすにはどうしたらよいのか、考えるようになっていました。
そういった感覚が部員に泳ぎを教える時に役立ちました。
ミ:この頃から水泳指導に目覚めていたんですね。
杉:水泳指導に実際に携わるようになったのは、双子の妹が「区の水泳指導員の募集に応募してみようかな」と言ったので、それなら自分も!と。
21歳の時にスタートしたので、かれこれ20年たちます。
水泳選手の現役時代に手抜きばかりして、納得して現役引退とか燃え尽きたりしなかったからこそ、
今でも水泳に関われているのかなぁと思います。
ミ:すぎりょー先生は、競泳、スイム指導、あとOWS(オープンウォータースイム)も?
杉:はい。24歳の時かな、伊豆大島のOWSでデビューしました。
「すぎりょーはスタミナがないからOWSはやらないでしょ?」と聞かれて(お誘いいただいて)「いや、泳ぐよ!」という感じのノリで。
僕、寒がりなんですが海で泳ぐ時はウェット着ないんですよ。
体を締めつけられたり浮力があると、自分のフォームを維持できなくて。
ウェットスーツの隙間に海水が入ってくると冷たい!ってなりますよね、あれが凄く苦手です。
それでウェットの要らない沖縄方面を主軸とする「リゾートスイマー」になりました。
ミ:そう、「リゾートスイマー」…すぎりょー先生から初めて聞いて知った言葉です。
しかし海でも泳いだりするようになって人生の転機や平田先生との出会いにつながるようです。
次回に続きます。
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